かねてからの疑問が晴れた瞬間

唐突ですが“クオリア”って言葉ご存知ですか?
かねてからお気に入りのウィキペディアで調べ物の最中に発見した言葉です。
クオリア。かなり抽象的な言葉で、でも誰もが一度は頭の隅をよぎったことがある感覚ではないでしょうか?
具体的に言うと、感覚の話です。例えば自分が認識している“赤”と言う色。もしかしたら、自分の一番の理解者、配偶者や親友には、自分が認識している“青”に見えているかもしれない。また、自分が認識している“砂糖の甘さ”と言う味覚がもしかしたら、“塩の辛さ”に感じているかもしれない。そんな感じです。
自分にとっては、基本的な常識。それが根底から覆る(くつがえる)。しかも、感覚の話なので、嫁と自分の感じている味が同じだと、科学的方法をもってしても証明できない。
興味は尽きません。
ラブホテルの証明がピンクで興奮。でも嫁が見ているのは、自分の“青”でも二人とも大興奮。ちょっと考えたら少し怖い話かもしれません。
人間って科学を発展させてスゴイと思う反面、証明できない事象にであうと脆いですね(笑)。
殴られて“痛い”の感覚が実は世間一般では“くすぐったい”だとか。ただ、殴られたら“痛い”の常識が植え付けられてるから、自分では“痛い”と思っているだけ。
何か、かなりホラーに近い話です。
1900年初頭くらいから科学者たちがそんな話(哲学的には4世紀頃かららしいです)をしていて、自分が10代からおぼろげに感じていたコトが自分だけの感覚ではないって解ったのがちょっと安心で、でも対向車のドライバーが信号の色を真逆に認識していたら(認識だけで相手には自分の“赤”が“青”に見えている)、ちょっ怖いかも…。
でも対向車のドライバーに自分の“赤”を指差して「この色何?」って聞いても相手は自分の“青”に見えていても“赤”って答えるかもしれない。赤と青、白と黒逆の色彩でちょっと生活してみたいとかも思いつつ、かなりの恐怖も感じながら、同じコト考えてる人が世の中にいて、安心と感じながらも、みんながバラバラのコトを思っていたらちょっと悲しくもある不思議な言葉です。
クオリア”。その言葉は生活とか人生の根底にある言葉です。かなり哲学でもあります。人生に彩りを添える言葉になりうるとは思いますが、その言葉に支配されないように…。
みんな同じ“クオリア”を持っていたら、ノープロブレムですが、みんなが全く違うクオリア”を持っていたら、それもまたノープロブレムってコトで(苦笑)。